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絵日記 僕と彼氏とレモン太(パグ)の絵日記
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※当サイトは【絵日記Blog〜それとなく癒されたい控えめな日常〜】をリスペクトしています。 ![]() びびびさんところに、新たに黒パグのジュンペー君が加わったようです!人ごとながらなんかすごくウキウキしちゃいました。もう、これはパーティです!リッツパーティです!立食でな!!
まだ生後二ヶ月ちょっとぐらいらしく、すごい小さいだろうなぁ〜!レモン太は生後二ヶ月で来たんですが、その時の大きさが、折り畳みの携帯を広げたぐらいの体長でした。手がデカい僕の手のひらサイズ! 今後、絵日記でジュンペー君の様子を見れると思うと、すごくニヤニヤウキウキです。 ここ一連の食品偽装問題を扱ったワイドショーでコメンテーターが「消費者がもっと自分自身で見極める能力をもつべきだ。消費者としてもっと賢くなるべきだ。昔は魚の目や鱗を見てその鮮度を見極める能力を持っていた、現代の人はそういう能力を失ってしまった。みなさんもっと自分自身で判断できるようになりましょう。」とか言ってて、うわこいつ馬鹿だ、とか思ったよ。そんなの絶対無理だろ。切り身をパックした状態で売られてる魚に目も鱗もないし。たとえその色や発色で鮮度が分かるんだとしても、産地なんて偽装されれれば見極めようがない。それともあれか?うん、この色とこの断面の感じからして、これはインド洋沖のマグロだね、って分かれと言うのか。全員に。 このコメンテーターの言う通りにするとすれば、魚はすべて丸ごと売られてなければいけない。もしくは、都会の消費者が魚を買うためにいちいち漁港まで行かなければいけない。それが理想だとは分かっても、現実問題無理だろ。 肉ならどうだ。鮮度は見た目で分かりやすいが、それでも、○日まで大丈夫と書かれていれば、大丈夫なんだと思うしかないだろう。 あと加工食品、お菓子とか、これはもう絶対に偽装されれば見破る術はない。問題になったあのお餅も、店先でびりびりと包装紙をやぶき、蓋を開け、う〜んこれはちょっと消費期限を偽装してるんじゃないのか?って判断せよと言うのか。やっていいのか。ちょっとやってみたいじゃないか。 ほんと、馬鹿なコメンテーター野郎が!! 騙される側も、もっと賢くなりましょうというこのコメンテーターの発想だと、きっといじめ問題に対しても、いじめられる側にも問題があるのです、もっと、いじめられないように努力しましょう・・・とか言うんだろう。ほんとクソ虫めが。 別のコメンテーターが、少し期限が切れたからといって、すぐに捨ててしまうのはどうかと、食べ物を捨てる、もったいない、私たちは命を頂いているのだという意識、どうのこうのと言ってましたけど、いやいやいや、偽装した会社は、捨てるのがもったいないから偽装したのか?私たちは、命を頂いているのだからもっとありがたみを理解すべきだと思って偽装したのか? 違うだろ。んなわけねーだろ。できるだけ損をなくして儲けたいからに決まってるだろが。 もし僕がコメンテーターならこう言います。 「まずね、社会自体が性善説にのっとって動いてます、という建前がありますね。基本的に人は人を騙さない、商品に関する表示も正直に書きますと。そういう約束事が守られているという前提で社会が動いているわけです。 でも今回の事件で、ばれてしまったと思うんです。売り手は、人を騙してでも儲けたいのだと。表示を偽装して消費者を騙してでも、利益を追求したいのですと、くしくもカミングアウトしてしまったわけです。 私はその、騙してでも利益を追求したいという売り手側を批判したいのではありません。むしろそれは当然の心理だと思うんです。自分さえ良ければいいのだという心理は誰にでもありますし、その心理に売り手と買い手の分け隔てはないのです。みんな割りと利己的に生きてますから。 つまり、基本的に人は人を騙さないという建前を、もうとっぱらってしまったらいいと思うんです。そうすれば、もっと消費者も注意深くなって、きっちりと自分で判断する能力をゲットするでしょうから。 だから、売り手側は、おおやけの場でこう断言して下さい。 私たちは消費者をだまそうとしてますよん♪気をつけてね〜うふふ」 今さらだけど亀田家のあれ。すごく単純なことだと思います。ようは、彼が強ければ良かった。でも弱かった。敗者など誰も認めない。だからこそ勝つことに意味が出てくるんだし。負けた者に情けをかけるのは、それこそ失礼だ。負けたけどよく頑張ったねなんて言われて喜ぶ敗者なんていない。思えば、ボクシングが弱かったというよりも、精神的にまだ幼かったんだろうな。負けと、負けたときの全ての逆風を受け入れることができなかったんだから、勝ち負け以前に、勝負の場に出る資格すらなかった。 昔だったら、負けたら死んでただろ、闘技場で。「勝負」であれば絶対に勝たなければ駄目だ。負けたら死、ぐらいの覚悟ができないなら、勝負したら駄目だ。それぐらいに思えていれば、どんだけマスコミに叩かれようと屁みたいなもんだろ。 ただ、彼の場合、どこまでが本人の意思かが微妙。本人が望んでないのに、もしくは実力と精神力が伴ってないのに勝負させられたんだったとしたら、彼はカワイソウな被害者だとは思う。 批判につぐ批判の猛威を打開するのは次に正々堂々と勝つことだけだろ。 関係あるけど、亀田一家の中で一番男前は、お父さんだと思うw。あーゆーキャラさ、普段あんなだけど、闇金ウシジマ君みたいにウサギがすごい好きとか、実はピアノ弾けるとか、オイルサーディンを手作りできるとか、意外なギャップがすごい似合うと思うんだけど。 なんか今、情報商材ってのがすごくない?面白いからつい見てしまいまあすけど、まあだいたい起業系と恋愛系がメインですよね。これだ!って感じで流行してしまうと、どこまでもカオスになってしまうネット世界だから、今や、情報商材で儲けるための情報商材とかまであって、そのうち、情報商材で儲けるための情報商材、で儲けるための・・・って永遠の負のスパイラルがブラックホール作って世界を飲み込むんじゃないかって勢い。恋愛系での洗脳術の情報商材も多いですね。「女を思い通りに操る極秘洗脳術」とか、「彼氏が欲しいならプチ催眠」とか。しかもこういうのがグーグル提供の広告として出てるから、信じる人は信じるだろうな。通常なら騙されない人でも、どうしようもない窮地に立たされると魔が差したように騙されてしまったりする。まあ、騙す方と騙される方、どちらが悪いとは言いません。こういうのはパチンコや競馬と同じで、負けても文句は言えないのである。 関係ないけど、普通に生きてたら踏み込むことのできないフィールドってあるんでしょうか。なんか、夜な夜な着飾った男女達が、キャビアだのフォアグラだのをふんだんに使ったソースをリッツに乗せて高級ワインと一緒に食い散らかしたり、ドラッグとかやりながら、そろそろあの国に戦争でも起こそうかって話題をしたり、あらそこの坊や可愛いわね、これ上げるわって5億のアクセサリーをスナック感覚でプレゼントしたり、15歳のお嬢様がとある国の国王を奴隷扱いしたり、そういうきらびやかな闇のパーティーみたいなの、世界のどこかでやってるんでしょうか。もしそういうパーティーに参加してます!って人がいたら、連絡ください。で、写メ送ってw 伊集院光のポッドキャストで、地球上の水の量は一定だから、ミネラルウォーターでストックしてる分、実際に地球上で循環してる水の量は減ってるのではないか、と言ってたのを聞いて、そう言えばそうかもと思って。雨として降り、海へ流れ、蒸発して雲になってまた雨として降る。その、地球上の水分量が一定なら、その成分の約60%が水分で構成されている人間の増加も、地球上で循環できる水分量を減らしてる大きな原因になるんじゃないのかと思った。人間が増えれば、その分、人間の体内に蓄積される水分が増えるから、雨海雲で循環できる水分の絶対量は少なくなるはず。 地球はそれを憂えて、地球をあえて温暖化し、それまで貯蓄してた南極や北極の氷を溶かして、循環する水分を増やしてるんじゃないんだろうか。希少な動物の絶滅も、戦争で多くの人が死ぬのも、二酸化炭素でオゾンホールが広がったりするのも、すべてが、それらを引き受けてバランスを保とうとするための地球というシナリオなんじゃないか、と、思ったり思わなかったりするけど、こういう理論を本気で信じ始めるとそれは宗教になるんじゃないかと思った。「地球水分維持教」とか。なんか、探せば世界のどっかにありそうです。 それとは全く関係ないんですけど、前に書いたように最近は和食で粗食ってのに凝っていて、続けているとちょっとずつ材料が余ったりしてて冷蔵庫がどうしようもない少量の野菜であふれてしまいました。 余った野菜をどう処理しようかと思って、結局ラタトゥーユ風の洋風煮込みスープにしました。ダシと肉気のために鶏の手羽もとを買ってきて、ニンニクを炒めたオリーブオイルで手羽もとの皮を焼き、上からどんどん野菜を切ってぶちこんで、ひたひたになるぐらいまで水を入れて、ブイヨン、コンソメを適当に入れて、あとはホールトマトの缶詰を一缶ぶちこんで、塩で味を調えてあとは煮込むだけ。あ、本当はセロリがあればいい味になるんですけど、今日は忘れてて入れませんでした。 カレーにしてもシチューにしても、具がグズグズにスープに溶けた感じが好きなので、今回作ったラタトゥーユ風の洋風煮込みスープも、明日ぐらいが一番美味しいんだろうな。 耳を塞ぐと視覚が冴えるというけど、世界が遠のいたような感覚にもなる。耳を塞いだと言っても、塞いだ手を通してかすかに聞こえる雑音が、遠くの音を聞いているような感覚だからかもしれない。世界が遠くになり、自分だけがどこか取り残されたような。小中学生の頃、プールの授業を終えた午後の時間に感じたあの物憂げな感覚は、割と誰とでも分かり合える。 「あ、これってプールの後のあの感じに似てない?」と聞くと「ほんまや、そんな感じやわ」と。それ以上はあまり突っ込んで話さないけど、あれは郷愁じゃないかと僕は思っています。 プールの水がかすかに耳に詰まってるからなのか、それとも、実際にプールで水中に潜ってるときの、水上の音量が小さくなった感覚を引きずってるのか、どちらにせよ、耳を塞いだときのように、音の遠のいた感覚があって、午後の授業中、先生の声も周りの雑音もすべての音がふっと遠のき、見慣れた日常であるはずの、例えば教室のカーテンが風に揺れてる様子とかがなぜか印象的に目に映ったりする。そんなときなぜか懐かしい感覚が湧いてきて、今になって思うと、あれは郷愁かもしれないと思った。 音が遠のく、聞こえないわけじゃないけどすごく遠くの雑音を聞いてるような、その感覚が、なぜか世界から自分が遠のいたような、自分だけ周りから浮いたような気持ちになり、それが郷愁に繋がるのは、かつて一人ぼっちだったときの記憶に繋がってるのではないかと思う。母親や父親の声がお腹ごしに語りかける、言葉をまだ知らない一人ぼっちの自分にとって、声はただの音でしかなかった、胎内での記憶。そこへの郷愁。 そう考えてみると、プールとの繋がりも合点がいく。その水中での感覚は、羊水での感覚と同じなのかもしれない。夏が終わる頃はいつも、毎年、昔のプールを思い出し、そういう感覚になる。そしてお酒なんか飲んでたりするともっと話が大げさになり、いや、もしかしたら、生命が誕生した海への郷愁かもしれないとか、夏の雨上がりのあのアスファルトの匂いに感じる懐かしさは、地球が生命を生む前の、溶岩が雨に冷やされながら水分を蒸発させて雲を作り出してるときの匂いを遺伝子が覚えてるからなのかもしれないとか、そういう馬鹿なことを考えてしまうのだった。 |
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